並んで歩く

友だちの家に遊びに行ってた長男。

 

5時に帰ってくるって言ってたんだけど、5時ちょっと前に雨がザーッと降り出して。

傘を持って行ってなかったから、傘を持って迎えに行ったの。

 

途中で会って、傘を渡して。

受け取った長男は、ずんずん先に歩いて行く。

自転車の友だちが一緒だったからかな。

友だちがいなかったら並んで歩いてくれたかな。

 

小さい頃は手を繋いで並んで歩くのが当たり前だったのにね。

並んで歩くのは、きっともう、そんなに多くはないんだろうな。

PENPALSのライブに行った話

ライブに行くのはコロナ前が最後だから3年ぶり。彼らに会うのは子ども産む前だから10年ぶり。でもその時は一時的な再結成でなんだかふわふわしてたから、実際最後に見たのは2005年のCOUNTDOWN JAPANで17年ぶりとかになるわけで。

 

というわけで行ってきました、PENPALSのライブ。

キャパ200人くらいのすごい狭いハコでして。入るとすぐに物販でTシャツ売ってる林さん。近っってなったよね。

 

他2バンドとの3マンのトリだったので最初の2組はゆるりと過ごして。

転換から捌けずにそのまま居続けるからさ(狭すぎて控室的なものがないらしい)、どうやって始まるん?って思ってたらBeastie BoysのSabotageが流れてきたわけ。当時と変わらぬSEに鳥肌が立って涙が溢れてきた。

そのままサラッとはじまるわけ。

AFOKからのAMERICAMAN。

いやもう懐かしすぎてイントロ始まるたびに鳥肌立って涙溢れてたわ。

手を上げるタイミングとか声を上げるタイミングとか、20年近く前なのに覚えてるのね。(声を上げて良いかどうかはおいといて)一気にハタチ前後に気持ちがタイムスリップしてしまったよ。モッシュやダイブはさすがにないけど、ぴょんぴょん飛び跳ねたりゆらゆら動いたり。マスクしながらだと酸欠気味になって結構苦しかった(歳のせいもあるかも、汗)。ま、それも嬉しさ楽しさに変わるんだけどね。

40過ぎて50過ぎのおじさんたち見ながらこんなにキラキラした気持ちになるとは思いませんでした!

やっぱりライブはサイコー!!

 

きっちり3曲やってMC挟むっていう。しかもその3曲も昔の曲ターンと新曲ターンとでわかれてて真面目か?って思いました(笑)

 

 

まるいちねん

途轍もなく大きな存在になってしまった。

 

そんな彼らに出会って1年。

 

 

 

 

初めてカムバを経験した。

Yet To Come。グクの爽やかで伸びやかな歌声から始まる。どこか切なさを帯びて曲は進む。心の奥の柔らかいところをぎゅうっと掴まれるような感じがして。なんだっけ、この感じ、と思ったら、フジファブリックの「若者のすべて」を聞いた時の感覚に似ていた。

主題は違うけど、どちらも若い世代特有の焦燥感を懐かしさを感じるメロディに乗せて表現しているような気がして。その中でも、変化はしていくけれど、自分の本質的なものは変わっていないんだという想い、そんなものを受け取った気がする。ノスタルジックに過去を振り返りながらも最後は希望を見出していく。

ずっと同じではいられない、ずっと同じところにはいられない、それを知っているからこその痛みと優しさがあるような気がした。

 

アイドルのファンでいると、ただ楽しいだけではいられないってことがわかった。特に修飾語が大きくなっていく彼らをみていると息苦しさをどうしても感じてしまう。彼らが本当は何を思っているかなんてわからないのに、ひとりで推測ってひとりでモヤモヤを抱えている。背負うものが大きすぎることに不安になるくせに、彼らが何かを発するたびにそれに喜んで飛びついてしまう。この矛盾した気持ち。

 

大きな修飾語を背負った彼らのファンでいるには、こちらもそれ相応に色んなことを考えないといけないのではないかという追い詰められているような感覚。

 

ああ、でも、そんなことも解してくれるのが彼らなんだよ。帝王学のようにアイドル学があるんじゃないかと思うくらい彼らのアイドルとしての対応は素晴らしい。(それもまた彼らの負担になるのではないかと矛盾スパイラルに陥るんだけど)

 

勿論政治や国際情勢を考えるのは大切だけど、それとは別に「お、ちょっと、かっこいいじゃん」ってふと思うシンプルな好きという感覚で彼らを見る時間を増やしていきたいなと思ったりするファン2年目。

2年目もよろしく、BTS

PTD ON STAGEに寄せて

So what?!

 

 

10月24日。

PERMISSION TO DANCE ON STAGE。

 コロナ禍で開催されたBTSのオンラインライブストリーミング

もちろん楽しみにしてたし、楽しかったけど、ただそれだけじゃないものがそこにはあった。

 

私たちファンはアイドルに対して、こうあって欲しい、こうであるべきだと意識することもなく心のどこかで思ってるところがある。

 

だけど、当たり前のことだけど、アイドルが自分の意志で自分らしく生きることを否定する権利は私たちにはない。

その当たり前のことを私たちは時々忘れる。

 

「So what」

グクが言う。

自分のことをあまり好きではない人たちに向かって。

어쩌라고!

だから何だと。

 

伊坂幸太郎の「逆ソクラテス」という本に、「僕は、そうは思わない」という台詞がある。急にその台詞が思い起こされた。

それは、何事に対しても決めかかってくる先生に対してとある生徒が放つ言葉。

「お前、それお世辞だからな」

僕は、そうは、思いません。

 

私は通りすがりの誰かに自分をジャッジされたくない。私が私でいることは私が決めること。

 

私が思うのは「グク、よく言った!」でも「(文句を言ったファンに)ざまあみろ」でもなく、グクにとってそういうことを言える場所があって良かったということ。

ヒョンたちが穏やかに見守る中で自分の胸の裡を発せたこと。その関係性に震える。

 

コンサートの終盤、振り返るメントの時にリーダーであるナムさんは言う。

「辛かった」

コロナ禍でファンも誰もいない中でコンサートをやるモチベーションに持っていくこと、その辛さを彼は語る。

「楽しくなかった」

テテは言う。直前に膝を痛めてしまい、思うようなパフォーマンスができなかったから。

 

私はハッとする。

アイドルのコンサートのMCなんて、ひたすらに明るくて前向きなことしか言わないものだと思っていた。ネガティブなことなんてファンを前に言うはずがないと。

私もどこかで彼らを自分の軸で判断していた。

 

彼らがあの場でネガティブな発言をしたことで、どこかの誰かが救われる。どうしようもないネガティブな感情を持て余す日もある。そういう日の私もどこかで誰かが赦してくれるんだと。

 

彼らの素晴らしいところは、その発言をする隣に頭にリボンをつけたジンくんがいることであり、おどけて話すユンギがいることであり、明るい笑顔で肩を叩いてくれるホビがいることであり、穏やかに語りかけるジミンがいること。そのバランスが、7人でいることが本当に何にも替え難い尊いものだと心の底から思った。

 

他の誰かが弱ってる時はまた他の誰かがそれを側で支えている。そんな7人が今日も眩しい。

 

Love myself、Love yourselfと彼らは言う。私自身を愛すること、見るもの、聞くもの、触れるものを愛おしく思うこと。彼らに出会ってひとつひとつが本当に大切なものに思えてくる。何気ない日常が輝く。そして、隣にいる誰かのことも大切にしようと思える。

 

本当に防弾少年団のことを好きになって良かった。そして私はただひたすらに彼らの幸せを祈って呟く。ありがとう。

 

We don't need permission to be ourselves!!!

 

BTSのこと

つい最近、BTSにはまったの。

アイドルにはまったのは中学生の時にV6のファンになった時以来。

韓国に興味持ったのは「天国の階段」でクォン・サンウを好きになったとき以来。(何年前?!)

 

中学生の頃、V6やJrのテレビ番組を録画しまくったり、雑誌を買って友だちと切り抜きを交換しあったりした記憶があるからか、その熱量に自分を持っていくことがなかなかできずにさらりと表面を撫でるだけにとどまっていた感じ。

テレビでアイドルのわちゃわちゃやドラマでの演技を楽しむ程度に。

 

 

それがまあ、見事に、まるっとつるっとはまったわけですよ。

沼に落ちたなんておこがましくて、こんなファンになって日も浅い若輩者が言うのもアレなんですが、傍から見れば、そうなのかもしれない。

 

きっかけはTwitterのフォロワーさんが投稿した写真。

黒髪で色白の青年が黒いマスクをしてるんですよ。白シャツで黒いパンツでモノトーンコーデ。

 

その姿に一撃ドキュン

 

これが???

びーてぃーえす??

BTSですか……ほおほお。

 

名前くらいは知ってましたけど、韓国アイドルにほぼほぼ興味なかったし、BTSに関して言えば1番はやっぱり原爆Tシャツのイメージがあって、あとはなぜかごりごりHIPHOPのイメージがあった(どこかで見たらしい)。

 

そんなイメージだったから突如として現れたこの白くてマシュマロのようだけどモノトーンで洗練された人はどなた?????と心がバグを起こしましたよ。

 

最初は見て見ぬ振りをしてたんですが、どうにもこうにも気になりまして、検索しますよね。

 

おぉう。

写真によってイメージが違いすぎて見分けがつかない……!!

そして呼び名の多さ。

 

夏休みの1日、夫と子どもたちが出かけている間にひたすら画像を見て8割方見分けがつくようになる。(はまるきっかけのユンギだけは完璧に見分けられるようになる)

 

歌もダンスもバラエティも見る前に、なぜか見分けがつくようになりたかった私……。

(この時点ではSUGAって人はかっこいいなあという程度の認識)(というかこれ以上は入り込まないぞという自分への抑圧)

 

よし。見分けがついたぞ。というわけでここから怒涛の動画検索。

うん。動画ありすぎ。

Twitterのフォロワーさんがツイートしてる動画やその関連動画、V LIVEなるアプリを教えてもらいその動画、、、子供が寝た後、夜な夜な動画を見まくる。

削られる睡眠時間。

襲いくる動画攻撃。

 

歌とダンスで「かっこいいいいい!!」となればバラエティやファンの方のまとめ動画で「かんわいいい!!」となり心が忙しすぎる。それもこれもコンテンツの多さ故。

そうして気づくとMemoriesを買ってる私。

ここまで来るのにリーチが短すぎる。

こんなんでいいのか??いいのか私??

自問自答する間も無く、次々とアップされる動画。

 

ええい!いいんだ!これでいいんだ!!

 

言葉の壁や文化の違い、政治的背景の差を彼らの歌や動画に触れるたびに感じる。

そして、今まで知らなかったいろんなことを知りたくなる。

そんな力をも持つ彼ら。

 

今はまだ、ただただ愛でる時間しかない。でも少しずつ彼らを形作るさまざまな事柄について知っていけたらなと思う。

 

今、この時期に彼らに出会えたこと。

世界のBTSになってから出会ったこと。

まだまだつぼみの彼らを見つけて見届けたかったという気持ちもある。

でもそれは叶わないこと。

さまざまな動画や歌を遡ってでしか当時の彼らに触れることはできない。

でも、だからこそ、そういう彼らを知って、また一つ彼らの魅力を自分の中に吸収していけたらなと思う。

 

アイドルのファンの人たちを横目で羨ましく見てた。

私には縁がないものと思っていた。

コンサートなんて豆粒の人見て楽しいのかな?と思ってた自分がいた。

 

でも今は、いつか、肉眼で彼らを見たい!それまで生きる!!という思いで日々過ごしてます。

 

とにかく毎日たのしーーー!

 

寝不足だけどねーーー!

 

 

Rescue me

 

ELTの曲をダウンロードしてみた。懐かしい曲を聴きたくて。その中にあった曲。当時もヒリヒリするなと思ってたけどシジュウを前にするとヒリヒリ通り越してぞわぞわ焦燥感を煽られる。

昨日は寝る前に思い出してなかなか寝つかれなかった。

 

いつか結婚して子どもできたとしたら

近所のオバサンと呼ばれる日が来るの

 

20代中盤の私はやさぐれてて、結婚も出産もできる気がしなかった。でも、あの頃思い描いた未来に立ってみると、育児と家事と仕事にまみれた生活。あの頃確かにそばにあった、あるのが当たり前で気づかなかったものが今はない。

普段は思わないけれどこの曲を聴くと少し思う。

 

ちょうど読んだ瀬尾まいこさんの本にこんな一節があって、とてもとてもうなずいてしまった。

誰だって、今日までをただそのまま歩いてきたわけじゃない。いろんなものに折り合いをつけて、何かを手放したり何かに苦悩したりしながら、生きていく方法を見出だしてきたのだ。

春、戻る (集英社文庫)

春、戻る (集英社文庫)

 

 

 

2020年に読んだ本

ブログのタイトルにしてるくらいに寝転がって本を読むのが大好き。

特に冬の朝、少し早く起きた時に温かい布団にくるまって、手を少し出して読むのが好き。

まあ、子供が産まれてからはそんな時間ないけどね。

 

去年は目標、1年で50冊。(小説やエッセイ、新書など読みものだけで)

 

結果は69冊。

目標はあくまで目標で、もう少し読みたかったけど、前半は長男の卒園入学準備やら休校やらに忙殺され、後半は鬼滅の刃を読むことに忙殺?!され、まあ、これくらいかなという冊数。

 

 

日南X

日南X

  • 作者:薫, 松本
  • 発売日: 2019/11/01
  • メディア: 単行本
 

あー面白かったー!最初はピースがバラバラすぎて頭がついていけなかったけれど、それが絡まっていき、どんどん引き込まれる。伏線に次ぐ伏線で何度も読み返しましたよ。それを心地よく回収してくれる。横山秀夫氏や太田愛氏のような骨太ミステリ。事件の背景は遣る瀬無く、物哀しいんだけれど、読後感は清々しいです。500ページあるけど本当にオススメ。

 

流浪の月

流浪の月

 

すごく良かった。どういう風に物語が転がっていくのかわからなくて、先が気になって、一気に読み進めてしまった。とかく生きにくい世の中だけれど、心の拠り所になる人やモノや思い出があればいいね。1をみて、10を知った気になって、何かに勝手にカテゴライズすることの危うさ。決して白か黒かではないということ。食べ物や景色や気持ちや、いろんな表現が綺麗で繊細で本当に素敵でひとつの表現も取りこぼさないように読んでしまった。calicoの意味って何だろうと途中で調べてしまって、意味を知った時は心に温かなものが広がった。

特に良かった2冊。読み終わった直後の読書メーターの感想を載せてみた。

 

後は、寺地はるなさん、町田そのこさんを読み始めて、ただいま追いかけ中。どちらも胸がギュッと締め付けられて、ヒリヒリする描写もあるけれど、どこか温かくて心が救われる物語が多い気がする。

 

2021年はドラマを見る本数減らして読書時間に充てたいなあと思ってるところ。